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人類の営みのためのアーカイブ

2020.02.23

2020.02.23

GAYA|移動する中心
Report / Article

レポート|サンデー・インタビュアーズ Vol.03

「移動する中心|GAYA」の活動メンバー「サンデー・インタビュアーズ」が、声の採集についてさまざまな視点から考える月例ワークショップ。その第3回を2月23日(日)に世田谷・生活工房で開催しました。今回は「語りを聴く」をテーマに、都市社会学者の山本唯人さん(専門は都市論・災害研究、戦争記憶の継承論)をゲストにお招きしました。山本さんは東日本大震災の影響で解散した集落「泊里」の記念誌の編集制作に携わり、『泊里記念誌』を刊行しました。第一部のゲストトークでは、この記念誌の編集のあり方を紐解きながら、「語りを聴く」ことについて考えます。本稿ではワークショップの様子をお伝えします(ゲストトークの詳細はこちらに掲載しています)。

社会学者・山本唯人さんのお話
──『泊里記念誌』から考える

岩手県大船渡市に位置する集落「泊里」は、東日本大震災の津波により36軒のうち34件が全壊。その2年後の2013年4月に集落として解散の道を選ぶことになります。2015年ごろ、山本さんが調査のために集落を訪れた際に、「この地にあった『泊里』を記録に残し、次世代に語り継いでいく文集をつくりたい」という地元の人の想いに触れたことをきっかけに、記念誌の制作が始まります。研究メンバーと地元に設立された記念誌を作成する会の共同作業により編集が進められ、2019年3月に『泊里記念誌』を刊行しました。

社会学者・山本唯人さん

記念誌は泊里に関する資料や住民へのアンケート、生活史に関する座談会、東日本大震災の体験記などによってまとめられています。山本さんは、記念誌を手にしながら、「みなさんは人々の経験をどのように伝えますか」と問います。人の経験に形はありません。それを「形のあるもの」によって伝えることは「〈理解のフレーム〉をつくる作業である」と山本さんは言います。フレームとは物理的な形だけではありません。それは、たとえば「本の目次」のようなものとして表れます。山本さんは『泊里記念誌』を通して、どのような〈理解のフレーム〉を考えたのでしょうか。

〈理解のフレーム〉を考えるうえで大事なことは、「なぜそれをつくりたいのか」「なぜその話を聞きたいのか」という問いに対する答えを絶えず言葉にすることである、と山本さんは言います。その問いは編集の過程で何度も繰り返しぶつかるものであり、完成したあとも引き継いでいくこともあります。「なぜつくりたいのか、なぜ話を聞きたいのか、という問いに答えられなかったら、それは自分のやりたいことと〈理解のフレーム〉がずれている証拠です」。そう山本さんは強調します。

『泊里記念誌』には泊里のすべての世帯に対して行ったアンケート調査や、震災以前の集落の様子を語る座談会の記録、そして震災の体験記が収録されています。しかし、集落を知らない人に伝えるためには、それだけでは不十分ではないか。そう考えた山本さんは、「地図に見る泊里の歴史」と「泊里公民館の歴史年表」の章を記念誌の冒頭にもうけます。「経験の空間的な枠組み」を把握するための地図と、「経験の時間的な枠組み」を把握するための年表という2つの〈理解のフレーム〉です。しかし、これらは「人間の経験を組織するとても強力なフレームであるがゆえに、そこからはじかれてしまうものがあることも、強調しておきたいと思います」と山本さんは指摘しました。

最後に、山本さんは「『泊里記念誌』から何が分かったのか。そして描けないものはなにか」と問います。語りを聴き、それを記録すること。形のない経験や記憶を形あるものとして伝えるとき、それは絶えず〈理解のフレーム〉を自ら問いながら組み上げていくことにほかなりません。第一部のレクチャーでは、『泊里記念誌』の目次を一つひとつ紐解きながら、〈理解のフレーム〉をかたちづくる背景を山本さんに解説いただきました。集落の人、研究者、そして記念誌を読む未来の読者のあいだに立ち現れる、共通の〈理解のフレーム〉を繰り返し模索することの重要性を考えるレクチャーとなりました。

誰かといっしょに観る

ワークショップの第二部では、事前に課されていた課題を参加者のみなさんと共有しました。今回の課題は、ウェブサイト『世田谷クロニクル1936-83』で公開されている84の映像から選んだひとつを「誰かといっしょに観る」こと。鑑賞を通してどのようなお話が語られたのでしょうか。

──「多摩川大風のあと」(昭和56年12月-57年8月撮影)を世田谷に住む妹と観ました。「去年の台風の時と似ているね」「この建物はいまどんな感じだろう」。そんな話をしながら、自分が住んでいる地域の今と昔の映像を照らし合わせることができました。

──「井の頭公園」(昭和35年11月27日撮影)を昭和26年に生まれた方と観ました。15年くらいの付き合いになる人ですが、普段話せないことや昔の東京の様子についても話しました。

──自分が生まれた頃に撮られた「カタカタ遊び、美穂♡くみ子踊り」(昭和55-56年撮影)を、自分の2歳の子どもと観てみることにしました。「映像を観てなにか思い出すことはありますか?」と聞いたら「ありません」と言われ、だんだん飽きられてしまいました。

──「マサキ入学式」(昭和38年4月撮影)を自分より10歳年上の友人と観ました。子どもの服装や、世田谷のことや自分の地元のこと、木造校舎のこと、語り手の個人的な話にもなりました。

参加者のみなさんが聴いた語り手たちは、かならずしも映像と直接関係する人ではありません。「GAYA」のねらいは、8ミリフィルムの提供者ではない視点から映像を眺め直すこと。そしてそのときに語られた声を集め、物語や風景を立ち上がらせることです。その声は、いわゆる公の記録には残らないものかもしれません。しかし、それらは世田谷という地域、昭和という時代の語りとなっているはずです。2019年度の月例ワークショップ最終回となる次回は「語りをまとめる」がテーマ。実際に聴いた語りを通して、ありうべき〈理解のフレーム〉を考えます。そこではどのような物語が語られるのでしょうか。耳を傾けてみしょう。

レポート=ありな[AHA!]

posted on 2020.03.27

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