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Archive for Human Activities

人類の営みのためのアーカイブ

2020.01.13

2020.01.13

GAYA|移動する中心
Report / Article

ゲストトーク|佐藤史治さん
サンデー・インタビュアーズVol.2

「移動する中心|GAYA」の活動メンバー「サンデー・インタビュアーズ」が、声の採集についてさまざまな視点から考える月例ワークショップ。その第2回を1月13日(月・祝)に世田谷・生活工房で開催しました。今回は「語り手を探す」をテーマに、生活工房のプログラムコーディネーターの佐藤史治さんをゲストスピーカーにお招きしました。ここではトークの様子を掲載します。ワークショップの様子はこちらでご紹介しています。

佐藤史治 生活工房のプログラムコーディネーターの佐藤史治と申します。よろしくお願いします。今日は僕が企画した展覧会とその準備でのエピソードについてお話します。

その前に、ここ生活工房について簡単にご紹介しましょう。「世田谷文化生活情報センター 生活工房」は2020年で23年目を迎えます。97年の開館当時は財団法人世田谷区コミュニティ振興交流財団による運営ですが、現在は5つの事業部(生活工房、劇場、美術館、文学館、音楽)からなる公益財団法人せたがや文化財団に移行しています[注:2020年4月に国際交流も加わり、現在は6つの事業部で編成されている]。

ウェブサイトに載っている生活工房の紹介文によれば「生活工房は、区が設置した、美術館でも、博物館でも、公民館でもない、ユニークな公共の文化施設です」とあります。なんというか、否定を重ねて真実に近づいていくような感じなんですけど、こうとしか言いようがない場所ですね。日常の暮らしやデザイン、文化、環境をテーマにした展示のほかに、ワークショップやセミナー、フリーマーケットといったイベントの開催、区民のみなさんへの貸館業務も行っています。

展覧会「新雪の時代──江別市世田谷の暮らしと文化」

そんな生活工房で、2019年に僕が企画した展覧会「新雪の時代──江別市世田谷の暮らしと文化」をご紹介しましょう。この展示は北海道の江別市にある「世田谷部落」を紹介したものです。「部落」と聞くとちょっと身構えてしまうかもしれませんが、北海道ではけっこう一般的な言い方なんです。村落や集落よりもうすこし家屋がバラバラに点在しているような感じですね。「部落としか言いようがない」と現地の方々に言われて、展示では注記とあわせてその語を用いました。

北海道江別市の世田谷部落*をご存知でしょうか?

北の〈世田谷〉は、石狩川とその支流の世田豊平川、豊平川に挟まれた野幌原野の三角州に位置しています。1945年7月、食糧増産を目的とする「拓北農兵隊」として、東京都世田谷区から入植した33世帯がその名の由来です。東京の空襲で焼け出された、エノケン一座の役者や音楽家、大学講師などさまざまな経歴を持つ人々は、数多くの困難を乗り越えながら、農耕作に適さない過酷な泥炭地を切り拓きました。

その一方で、終戦まもなく共同で建てた「世田谷倶楽部」で、文学・思想・詩・音楽・書道・英語などを子どもたちに教えはじめます。さらに1947年に創刊した機関誌『新雪』では、日々の暮らしを綴った文章のほか、詩作や評論なども展開されました。この倶楽部で学んだ開拓2世の山形トムさんは、のちに「北の世田谷美術館」を設立し、現在も農民画家として制作を続けています。

本展では、入植者自身が書き残した文章や山形トムさんの絵画、地元の市民劇団「川」による演劇上演の記録など、現存する資料や作品をとおして、<世田谷>の歩んだ暮らしと文化活動を紹介する初の展覧会です。新天地で文化を自ら切り拓いた人々の活動をご覧ください。

*北海道では、行政組織の「村」と区別する日常語として、「集落」や「コミュニティ」等の意味で部落という言葉が今も使われています。

新雪の時代──江別市世田谷の暮らしと文化」ウェブサイトより
photo: Daisaku OOZU
photo: Daisaku OOZU
photo: Daisaku OOZU

この展覧会は2019年1月26日に開幕し、3月10日で終了します。会期の終わりをこの日にしたのには、ちょっとしたこだわりがありました。というのも、3月10日は東京大空襲の日で、この日をひとつのきっかけに拓北農兵隊が江別に渡っていきます。北の世田谷の始まりを、展覧会の終わりに設定したかったんですね。

この企画は、もともと僕が生活工房で働き始めた1年目の2014年に、北の世田谷美術館の巡回展として提案していました。当初は北の世田谷のことをほとんど知らず、図書館やネットで調べたりしたものの、リサーチ不足もあって見送りになってしまいました。

その後、2016年に北の世田谷美術館が焼失したという情報を聞き、札幌に行くという友人に確認してもらったところ、確かに焼けてなくなってしまっていた。この出来事をきっかけに、世田谷部落の企画を2017年にあらためて提案したんです。翌2018年は北海道の命名150年の記念の年で、開拓の歴史を振り返る時期でもありました。

住民自身の記録にたずねる

こうして再出発した展覧会の企画を進めるために、北海道在住のリサーチャーにも依頼して文献にあたりました。江別市にある郷土資料や世田谷区が持っている資料、当時の新聞などをいろいろ見ていきます。もちろん国会図書館にも行ったんですが、とくに江別市の情報図書館が素晴らしくて、市史・行政資料担当の方や司書の方がいろんな人をつないでくれたりもしました。

郷土資料にもさまざまなものがありました。たとえば『開拓40周年記念誌』や『世田谷開村50周年』、さらに『江別のふだん記』というものがあります。「ふだん記」とは、1960年代に八王子で生まれた生活記録運動のひとつで、自分で自分の身近な出来事を書くというサークル活動です。そのうちのひとつが江別にあり、「ふだん記江別グループ」として現在も活動しています。

僕がとくに探していたのは機関紙『新雪』です。1947年、つまり入植して2年目くらいに開拓者たちがつくった冊子で、そこには哲学や詩、思想といった内容が載っています。世田谷から渡った人たちのなかに、大学の先生とか役者がいて、そういった内容のものをしたためていたんですね。

photo: Daisaku OOZU

こうした本を発行していたのが、「世田谷倶楽部」という公民館のような場所です。『新雪』ではカントやショーペンハウエル、宮沢賢治などが論じられていて、ほかにも音楽や書道、英語について書かれていたり、世田谷倶楽部では実際にこれらが教えられたりもしていました。開拓1世の人が自分たちの子ども、つまり開拓2世に、さまざまなことを教えていたわけです。郷土資料を見ていくと、住んでいる人たちによる記録が多く残されていたことが分かりました。

新聞や世田谷区史のような第三者による記録にもあたったのですが、開拓者自身が残している記録をリスペクトしたいと思って、それらをもとに展覧会をつくろうと考えました。たとえば、こんなことが書かれていたりします。

苦労して開拓を始めて、僅か一か月ちょっとの8月15日には終戦になった。そのため我々の仲間の半数以上は、東京に帰っていった。父に「早く帰ろうよ」と言うと、しばらく考えたあと「今、東京は焼け野原で食糧難だから、もう少し良くなってから考えよう」と、父はこの時やけに落ち着いて答えた。

(山形トム「戦後七十年」『江別のふだん記』41 p.58)

文化はあともどりが出来ないと言うけれど、東京に居た時は電機や都市ガスを使用していたのに、ランプどころか夜になると皿に油を入れて糸を皿のふちに出して灯をともしていた時があった。5才の時にこの地に来た自分はあまり抵抗はなかったが両親や兄姉達はどんなつらさだったか…。

(浜田正弘「角山の人々」『開拓40周年記念誌』 p.12)

進歩が終わったときは退歩のはじまりだと。我々は常にこの言葉をかみしめ、機関紙を中心にお互いを物質文明に恵まれないこの原野の心のよりどころとし、助け合い励まし合い、苦しみ合って教養をつんで行きたいと思ふ。ここに土に立脚した完全なる文化人が生まれ、その結合は理想的文化郷となるであらう事を確信する。

(愚生「所感」『新雪』1949 1巻1号1月号 p.4)

現地で人に会う

こうした郷土資料にあたるほかに、現地では実際にいろいろな人に会ってお話を聞くことができました。2017年12月に初めて江別市に伺った際は、最初に山形トムさんにご挨拶して、一緒に世田谷美術館の跡地に向かいました。美術館はなくなっていたんですが、その裏にあるかまぼこ型の山形さんのアトリエに案内していただくと、そこにはたくさん絵が飾られていました。美術館が焼失したあと、山形トムさんは──当時、80歳近かったと思いますが──自分のアトリエを美術館に改装して、一時的にですがオープンしていたのです。そのとき、山形さんがかつて在籍していた世田谷区にある砧小学校の同級生から、花輪を贈られたことを語ってくれました。さらに、かつて世田谷区が山形さんの作品を購入していたことも知りました。作品が残っているかも分からない状態だったので、山形さんや作品に出会えた感動とともに、展覧会のイメージも持つことができました。

また、美術館の跡地から歩いて20分くらいのところに世田谷倶楽部があります。2019年7月9日に再訪したのですが、この日はちょうど73年目の開拓記念日で、住民の方が集まる特別な日です。どきどきしながらも「いろんな人がいるから話を聞きなさい、ジンギスカンも食べなさい」と山形さんとご家族に暖かく迎えられて、いろいろな人に話を聞くことができました。

実際に現地で人にお会いして面白かったことのひとつは、北海道で戦時中の東京の話を聞けたことです。たとえば、1944年か45年のころ、学校を卒業したので上野の動物公園に友達と行ったんだけど、動物が全然いなかった──といった話を東京弁で語るんです。池尻小学校に生け垣があってさ──とか。その人は70年以上前の細かなディテールのことを鮮明に覚えていて、しかもそれは僕がよく目にしている三軒茶屋とか太子堂の話だったりする。ただ、同じ地名なんだけど、彼が記憶している風景と僕が目にしている風景のあいだの70年間が抜けてるんです。40年以上前から駅前にある老舗のマクドナルドの話をしても、その人は当然知らなくて。同じ場所について話していても地層が違うというかなんというか、すごく不思議な経験でしたね。

ほかにも、山形トムさんの絵の先生が逸見傲岸という人なんですけど、その名前はゴーギャンがもとになっているとか、パレットがまな板だったとか。現場に行って人に会うと、そんな肌理の細かい話に出会うことがありました。展覧会の準備のためにいろいろ調べたり、話を聞きに行ったりすると、本筋に含めると脱線してしまいそうになるけれど、とても面白いエピソードがたくさんあるんです。

「新雪の時代」展で大切にしたいと思ったのは、開拓者自身の記録を重視することでした。また、開拓者が描く風景画、つまり風景をつくる人自身がその風景を描いていることも興味深い点でした。こうした作品や記録を通して世田谷部落を世田谷区で紹介できたことは、都市と地方の関係を考えるうえでも重要です。さらに後日、『江別のふだん記』にこの展覧会の記録が載りました。展覧会の中で紹介された人自身が展覧会のことを書いている。展覧会のために参照した資料に、展覧会のことが書き加えられる。なんだか入れ子構造のようですが、とてもおもしろい後日談です。また、本展の手製の記録集は、江別市の図書館に寄贈しました。

世田谷を調べる

最後に、世田谷についての調べ方をご紹介したいと思います。ひとつは、1985年から1989年までテレビ東京で放送されていた世田谷区の広報番組「風は世田谷」です。いま、すべての回がYouTubeにアップされているので簡単に見ることができます。ぜひ検索してみてください。もうひとつは世田谷区区長室広報課がまとめている『グラフせたがや』(1978-1991)という冊子です。こちらは図書館に行けばすべて見ることができます。このほかにも、王道ですが『世田谷区史』はおすすめです。

具体的に語り手を探すために、昔の新聞や雑誌を見てみると、当時の住所が書かれていることがあります。それを手がかりに、ゼンリンの住宅地図や電話帳とかで名前を探すこともできます。また手前味噌ですが、生活工房のウェブサイトには過去の事業の情報が載っているので、見てみると面白い発見があるかもしれません。そして「世田谷クロニクル1936-83」の映像もぜひ見ていただきたいと思います。

佐藤史治(さとう・ふみはる)
生活工房プログラムコーディネーター。1989年奈良県生まれ、東京在住。筑波大学大学院人間総合科学研究科修了後、2014年より現職。8ミリフィルムのアーカイブプロジェクト「穴アーカイブ」や、展覧会「みっける365日」、「新雪の時代―江別市世田谷の暮らしと文化」、「プライベート・コレクション展」、「プレーバック、プレーパーク! 遊び場をめぐる冒険」など、世田谷にまつわる企画を中心に手掛ける。

posted on 2020.03.30

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