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1982.08.15
資料種別 | 冊子 |
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発行時期 | 1939.06.26 |
発行元 | 伊深尋常高等小学校 |
所蔵 | 美濃加茂市民ミュージアム所蔵 |
プロジェクト | なぞるとずれる |
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なぞるとずれるArchive |
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拝啓 其後は心ならずも意外に久しく御無禮仕り何とも申し譯なく存じて居ます
御貴殿には益々元氣で多端な軍務に御精励下さいますこと誠に有難く日頃三百の児童と共に深謝致して居ます
今回長々の御無音を謝すると共に児童の真の心をお傳へ致したいと思ひ 特に慰問文集の形をえらみ こゝに編輯して御送り致すことに致しました。何程なりとも御慰みになれば幸甚と存じます
次に學校の様子を申し上げたいと思ひます
皆様の特にお親しみの深かかった神谷先生が今回名古屋の學校へお変わりになることになって 既に西區の南押切小學校へ御勤めになつて居ます 神谷先生は長らく伊深學校にお勤め下され實に立派な方なので 再三御願申して 何時までも居て下さる様にと 御話し申したのでありますが 先生は名古屋の市内の學校に勤め旁ら自分の兼ての希望であり又好んで居る電気學の研究に夜學校に入學して 勉強したいとの御一念で 遂に我々の願はかなはず、先生は御出世のことで結構ですが 私共の淋しい心を残して御赴任になったのであります 此の上は神谷先生日頃の御遺志を酌んで斯の道に精進したいと思って居ます
次に篠田先生が東京市へお嫁入りのために御出でなつて退職 長瀬先生が髙等農林學校に在る教員養成所に御入學の為退職 田中先生が川辺の學校へ御転任 小川先生がお止めなさつて都合一時に五名の先生を失ひました 何方も止めるに止められぬ御事情ばかりて何とも致し方がありません
私共の狼狽も御察し下さい
其の方々の変りとして次の方々を迎へました
入村先生 今まで下米田小學校にお勤めになつてゐました 御郷里がお隣りの加治田である関係上諸君も多分お㑹ひになればよく御存じのことゝ思ひます 経験の深ひこと 熱の有る教育振り 伊深學校を負ふて立つて下さるに充分と喜んでゐます
富岡小學校から荘加先生(三和村上廿屋) 黒川東小學校から井上先生(稲葉郡市橋村出身) 青年學校専任として長野先生(山縣郡葛原村出身) 新しく山田先生(不破郡青墓村出身) 大矢先生と六人の新しい先生を迎へることになりました 幸によい先生ばかりで喜んで居ます 漸くに學校にも慣れ 村の様子も解つて戴けたので 此れからは一意専心學校の事に社会の事に奮闘努力を願ふつもりであります 又 先生方も非常な意氣込みで居て下さいます
次に村の様子を申し上げませう
天候に恵まれて 麥の取り入れは誠に順調に行きました、昨年は雨が多くて 取り入れも困難であり質も劣って居たのに比べて本年は上質で多産で本當に皆さんがお喜びです、春蚕も上嬉嫌の上に繭の値も良かつたので 伊深村としては 銃後の者の責任 百億の戦費負担位はビクともしないとの意気込であります 唯今は田植の最中であります 昨日も豊富に雨が降ったで 村中 植込みの困難な所は無くなりました 學校も一部休業にして家業に手傳はして居ます
猶申し上げたい事が多々有りますが 後便にゆづつて児童の慰問文を掲げます
筆末ながら御健康を衷心お祈り申します。
昭和十四年六月二十六日
伊深小學校 職員一同
(伊深尋常高等小学校『慰問文集』より)
posted on 2020.06.06