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1939.06.26
資料種別 | 写真 |
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撮影時期 | 1937.09.18 |
撮影場所 | 岐阜県美濃太田駅 |
所蔵 | 渡邉寛氏 |
プロジェクト | なぞるとずれる |
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なぞるとずれるArchive |
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2019年6月14日、私たちは『慰問文集』を書いた渡邉寛さん(発行当時・尋常小学校4年生)に取材を行いました。寛さんは『慰問文集』に「僕のお父さんも支那へ行って今年で三年目にもなります。もう凱旋の話もありますので皈[帰]ってみえたら支那の話を聞かうと楽しんで待って居ます」と書いていました。
寛さんの父親は1937年9月18日に応召され、そのときに駅前で撮影された写真を、寛さんは台紙に貼って保管していました。写真右の男性が寛さんの父親(当時33歳)。彼は1939年7月に招集解除となり帰国しました。一緒に写る父親の友人は、この戦争で亡くなりました。帰国した父親から戦争の話を聞くことはなかった、と寛さんは語ります。
posted on 2020.08.07