あなたの「わたしは思い出す」

回想録『わたしは思い出す』を読んで、
あなたが思い出した日付とその日付にまつわるエピソードを募集しています。

会場アンケート

本書の原型となる展覧会の鑑賞者からアンケートに寄せられたエピソードをご紹介します。

2021年2月3日

検査日。体にあった腫瘍が消えた。それから、神戸で約束していた人に会ってその人の話を聞いた。

2011年10月8日

仙台から群馬へ引越した。転勤だった。6月頃、人事部との面談で希望をすれば仙台から離れられるという話を聞き、迷うことなく手を挙げた。引越した日の夜、余震が無くて久々にぐっすり眠れて嬉しかったのと同時に、「私は逃げたんだな」と思って罪悪感を抱いた。数年経って結婚して子育てをし(子供はもうじき新1年生)、神戸で家を建てたこのタイミングでこの展示を見られて、本当に良かった。自分の10年と重ねながら、一つひとつじっくり見ました。

2012年12月18日

一緒に暮らし始めたばかりの14才の子と文房具屋に行った時のこと。文具好きの彼がたくさんペンの試し書きをしていた。帰ろうと声をかけたら私の元に笑顔で走ってきて一枚の小さな試し書きをしたふせんを「はいっ」と手渡してくれた。そこには緑色の文字で「死んじまえ」と書いてあった。彼の心の中の言い表せない苦しみを見た気がした。

1999年2月25日

父の亡くなった日。夜中に誰かと話したかった。

2003年9月15日

父の骨の納骨に行く日です。車で家族を乗せて私が運転して納骨に行くことをになっていました。前夜に家族が久々に実家に集まったのでカキ(海の方)を食べたのですが、どうもそれにあたってしまったらしく、夜中に病院に運ばれて、点滴で治療をしていただき、無事に納骨のために運転手を務められたのでした。まだしびれてフラフラではありましたが。なぜこんなエピソードを思い出したのでしょう…

2020年1月12日

成人式の帰り、振袖のまま母と老人ホームにいる祖母に会いに行きました。老人ホームが成人式の会場から近かった事から、私の気まぐれで会いに行きましたが、6〜7年振りに会った祖母は私の事を覚えていませんでした。祖母の認知症は祖母が17歳の時から、[私の]姉が小さな頃(24、25年前)までしか思い出せないそうで、その事を知っていた母は、きっと私を悲しませないように介護がどんなにつらくても私にはその話を一切してこなかった事を、その時知りました。コロナでもう会う事は難しいかもしれませんが、私の事を知らなくてもいいので祖母に会いたいです。

2011年3月12日

東日本大震災の時、私は仕事で台湾にいました。大学生の引率をしていたので無事帰国できるのか(させれらるのか)とても不安でしたが、情報が限られていたこともあり日本国内の状況はそこまでよくわかっていませんでした。私はそれまで菜食主義で肉を食べないようにしていたんですが、震災翌日、帰国前の空いた時間に現地で一緒に動いてくれていた人が鴨の血で炊いたお米を揚げたカツをごちそうしてくれました。こうやって生きていかなくてはいけないと思い、それ以降は何でも食べるようになりました

1995年1月17日

夢だと思って二度寝した。起きてTVをつけたら淡路島で地震があって老人がこけた情報を流していた。たいしたことなくてよかったと、その時は思っていた。

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きっと いつか、 忘れて しまう。
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