サンデー・インタビュアーズ

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わたしの場合

アキ

アキ2022年度メンバー

1972年生まれ。東京に20年ほど住んだのち、愛知県に移り住む。2019年よりまちの記憶アーカイブ作りに携わり、世代交代や観光地化が進むまちの、昭和の頃の生活史の聞き取りを行う。視覚文化と語り文化、長唄などの口伝文化、記録と記憶をめぐるアーカイブの作り方に興味をもっている。

2022年度の〈きく〉

No.24『井の頭公園』 10:04No.24『井の頭公園』 10:04

小学校の夏休み、家族で麻雀にはまっていた想い出がある。こたつの台を裏返すとマットになっていて、そこでジャラジャラ。たまに祖父も参戦し、いつも遊んでもらっている祖父と対等に「遊ぶ」ことができるんだと、新鮮な気持ちがしたのを今でも覚えている。他のボードゲームやカードゲームだと遊んでもらっているという感覚だったが、麻雀だけは特別で、「仲間」になって一緒に遊んだ。大人も子どもも関係なく、本気になって悔しがり、嬉しがり、子どもから遊ぼうというだけなく、大人からも、麻雀やろうかという話にもなった。あの熱中は何だったんだろう。やりながらいろんな思い出話も飛び出してきた。祖父の若かりし頃、同僚が遊びにきて麻雀をやり、トイレに行くのが面倒で窓から立ちションをしてそこに生えていた植物が枯れてしまったという話。父の学生時代に雀荘で麻雀をしたという話。なにか大人の仲間入りをしたような気持ちになった。賭け事、ということもその一因だったのかもしれない。家族団らんの想い出がいまでもよみがえる。

ワークショップを振り返って

8ミリフィルムはモノクロだから「懐かしい」と感じるのかと思っていました。でも、ワークショップの回を重ねるうちに、映像から自分にまつわることが作動しないと、本当に「懐かしい」とは思えないのではないかと思いました。例えば麻雀のシーン。それ以外の映像は、懐かしそうな見え方はしているけれど、本当に懐かしいとは思っていないのかもしれません。また、映像(動いている画)と写真(静止している画)の違いも気になりました。写真家・森山大道さんの「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」という言葉があります。写真が過去だとしたら、それが新しく見えてくることには共感できる。でも、未来が懐かしいってどういうことなんでしょうか。これからも考えてみたいなと思っています。