サンデー・インタビュアーズ

サンデー・インタビュアーズ

わたしの場合

八木寛之

やながわかなこ2019–2022年度メンバー

1970年生まれ。2020年から茨城県・水戸に在住。世田谷の小学校でゲストティーチャーを務めたり、東京・九段下の「昭和館」で次世代の語り部事業に携わったりする経験をもつ。家族間での記憶の継承やオーラルヒストリーに関心があり、2019年からサンデー・インタビュアーズに参加している。

2021年度の〈きく〉

No.66『理容店2』03:21No.66『理容店2』03:21

「ノナカ」と書かれている美容室の回転する看板。これは通称「くるパー看板」と呼ばれているらしい。私が住んでいる水戸では、昔ながらの個人経営の美容院は少なくなりました。くるパー看板は昭和の遺物と言えるかもしれません。この名称が気になって命名者をネットで探してみると、なんと海外在住の方が見つかって、メールでやりとりすることができました。さらに、私の母や親戚の子どもたちに「パーマ屋」という言葉を知っているかを聞いたり、美容室の呼称やその歴史を調べたり。気になることはたくさんあるけど、時間が足りない。私の「くるパー看板」に関するインタビューはまだ続いています。

ワークショップを振り返って

知らない家族のパーソナルな映像なんて、以前はぜんぜん興味なかったんですが、今「世田谷クロニクル」の映像をしみじみ見ている自分がいて、我ながらびっくりするような変化です。そこに写っているものは「遠い存在なんだけど近い」感じ。あと、「くるパー看板」のように、名前をきっかけに「あ、これ知ってる」と知識が広がっていく経験がありました。たとえば、映像に写る庭の植栽が「シュロ」という植物だと分かった途端、自分の周りや映像に写っている植栽が気になってくるんです。名前を知ることで、自分にない視点があたかも自分のものだったかのようにスライドしていく感覚が、みんなで「はなす」ことの面白さだなと思いました。

2022年度の〈きく〉

No.66『理容店2』03:20No.66 『理容店2』02:43

2021年度の〈きく〉のときから気になっていた「くるパー看板」をさらに深堀りしてみることにしました。SNSでは「くるくるパーマ屋看板」を縮めた「くるパー看板」という通称で親しまれているようです。調べていくと、製造会社名+名称又は機種番号で、日本標識「H3 ピンカール」やアルプス製「ファンタジアブランケット」などと呼ばれていることも知りました。これまで意識していなかったのですが、身近な「くるパー看板」を探してみると、私が住んでいる茨城県内で11個も見つけることができました。

No.64『理容店1』06:54No.64『理容店1』06:54

この看板をよく見てみると、「全美連」や「全理連」と書かれていることに気づきます。そこで、全国理容連合会の「理容ミュージアム」(東京・渋谷)に行って、広報課の方にお話をうかがってみました。現在、くるパー看板は製造されておらず、大阪サインという会社がメンテナンスを請け負っているそうです。また「一時期は10万人以上もいた組合員も、いまは4万人ほど」とのこと。美容師は増えている一方で、理容師の数は減っているのだそうです。数年前には3校あった茨城県の理容師専門学校も現在は1校しかありません。『理容店1』の映像に映っている縦型のサインポール。これと同じサインポールをミュージアムで見つけて嬉しい気持ちになりました。

No.66 『理容店2』02:48No.66 『理容店2』02:48

『理容店2』が撮影された1969(昭和44)年は、クレジットカードの利用者が大きく増えていく年でもありました。「くるパー看板」が映る路地にも日本信販(現・三菱UFJニコス)のCの文字の入った看板が目に入ります。ちなみに、1969年は私の両親が結婚した年でもあります。新婚旅行用のワンピースは、当時流行りのミニスカートだったそうです。その服ははいまも保管してあって、金婚式で着ていました。母は結婚を機に家計簿日記をつけ始め、今年で54冊になるそうです。

ワークショップを振り返って

私が意識したのは、「想起」とは聞き手(インタビュアー)と語り手の共同作業で行う、ということです。「くるパー看板」のように、なにか共有できるフックがあれば、話し手の記憶が蘇る呼び水となるし、個人的で小さな物語あっても、フックを通して第三者(受け手)の人にも関心をもってもらえるのではないかと感じています。今回、映像に映った「くるパー看板」への関心をきっかけに、いろんな人に話を聞いたり、理美容業界や時代背景を調べたりしました。そんな「くるパー看板のある風景」をnote上でまとめていく予定です。

*ワークショップ内での発表をもとに、その一部を抜粋して事務局(AHA!)がまとめました。ライターの橋本倫史さんによる〈きく〉のドキュメントをnoteに掲載しています。
ハイカラなものが好きな母の趣味でつけたと思う」──やながわさんの発表